別居婚、以外のことでも、ぼやきたいの

2022年8月ブログ名を変更し、再開。

5ヶ月ぶりのじぃじ、ばぁば

3月の後半から夫との別居生活を再スタートし、約5ヶ月間、子供を連れてじぃじ、ばぁばの元に行くことはできなかった。

その理由は、子供の月齢的に1対1での長距離移動が困難になったこと、子供の定期的な医療機関の受診を土曜日にしているために、土曜日に移動できないこと、などあげられる。

それ以外にも理由はあるけど、伏せておこう。

夏休みを利用してじぃじ、ばぁばの元へ行くことにした。

夫が一旦片道300km離れた私たちの元に来て、夫の運転により3人で車移動。

事故渋滞が凄まじくて、とてもじゃないけど、子供と2人での移動は不可能と実感。

8時間かけてようやくじぃじ、ばぁばの元へ。

子供は当然2人のことを覚えているはずがない。

しかも、極度の人見知り。

はい、泣く。

接しようとすればするほど、泣く。

結局4日間の滞在で完全になつくことはなかった。

 

保育園の洗礼

子供は保育園での生活を始めるとすぐ熱を出して体調を崩す、ということは周知である。

私の子供も保育園の洗礼を受けている。

4月の初め、生後7ヶ月で保育園に通い始めた。

4月の中旬に生まれて初めての発熱を経験し、それから健全な日は1日もない。
熱、咳、鼻水、嘔吐、目やに。。。その他もろもろ。

5月の連休は子供の体調がいまいちな中、夫、子供と3人で過ごした。

子供は連休明けから耳だれ→中耳炎。

連休中に夫は子供から風邪?を移され、その後中耳炎。

私も5月中旬からかなりひどい服鼻腔炎。

夫も私も完治まで1ヶ月を要した。

6月中旬から子供は39℃超えの熱が出ては下がりを1週間毎に、なんと3回繰り返した。

そんな感じだから、子供の中耳炎は7月中旬の今現在、治っていない。

39℃超えの発熱のうち1回、口腔内にブツブツができた。

ヘルパンギーナかな?手足口病かな?

医者でも完全に区別はできない。

手足にブツブツないから、ヘルパンギーナでしょっと私は思う。
そのくらいから私も喉に違和感。

数日後、私も39℃超えの熱。

その日は9時に出社してあまりのだるさに9時半に早退したよ(´д`|||)

そのまた数日後、私の手足にブツブツが。

あ、ヘルパンギーナじゃなくて、手足口病だった。

でも、おかしいな、手足口病はあんまり高熱でないはずなのに。。。

こんな感じで、子供だけでなく、親たちも保育園の洗礼を受ける今日この頃。

 

 

 

 

別居婚の再スタート

2018年3月25日、仕事復帰へ向けて元のアパートに戻った。

夫、子供と3人で生活していたアパートから片道約300km離れた場所へ車で移動。

車はノアで自家用車としては積載量が多い方だけど、必要最低限の物しか積めなかった。

数日のお泊まりってだけでも荷物多いのに(2017年3月12日アップ乳児を連れての車移動、参照)。

子供onチャイルドシートがかなりスペースをとるし。

 子供が産まれてやたら物が増えるし、メリーとか超嵩張る(;´∀`)

とにかく、必要最低限の物を積んで出発した。

途中で渋滞にはまり、高速道路を降りて離乳食+ミルクタイムになったものの、その後はノンストップでアパートに到着。

荷物をアパート室内に運び入れた。

あー、片付くのにしばらく時間かかるなー。

 夫を新幹線の駅まで送る途中、広い公園へ立ち寄った。

今年は桜の開花が早く、5部咲きと言ったところかな。

近くにいた来園者にシャッターをお願いして、3人で記念撮影。

駅に付きホームで新幹線を待つ。

子供は新幹線が大きな音をたてて通過する様子に少し戸惑いぎみ。

新幹線がホームに到着し、夫が乗り込む。

窓越しにずっと子供の手を取ってバイバイした。

新幹線が出発した。

なぜだろう、寂しいとあんまり感じない。

むしろスッキリ。

子供は4月から保育園に通い、私は4月27日に仕事復帰する予定だ。

別居婚に不可欠なドライブ技術

子供がいる別居婚で不可欠な車の運転。

私は女性として、その技術は高い方だと自負している。

それも、今となっては、の話。

 

運転免許を取得したのは今から15年前の19歳の時。

その時は運転が下手だった。

危ない運転をして、クラクションを鳴らされることはしばしば。

駐車場で擦ることも数回あり、うち1回は人様の車を破損させてしまった。

それでも、運転がうまくなるように努力はした。

例えば、交通量の多い東京都内の道路へ運転の練習をしに行った。

初めは知り合いのトラック運転手に助手席へ座ってもらって、指導してもらいながらだった。

標識や車線の多さにパニックになったけど、何度か経験するにつれて慣れていき、一人で運転できるようになった。

夫と出会った24歳の時、私は大学院の修士課程の学生だった。

その頃になると、運転にも自信が付いてきて、ナビがあれば首都高を含めた都内の運転もへっちゃらになっていた。

 修士課程を修了して、就職を機に夫とはいわゆる遠距離恋愛となった。

片道約300kmを月に数回移動して、高速走行はお手のものとなった。

今は乳児を連れての移動で、自分の食事はもっぱら運転しながらという状況になり、それなりの運転技術なきゃ、無理だなと実感する。

乳児を連れての車移動

子供がいる別居婚は車での移動ができなければ成立しないと思う。

なぜなら、荷物が半端ないから。

 

オムツ、おしりふり、ミルク、哺乳瓶、お湯と水、離乳食、着替え、ブランケット、抱っこひも、

これらは普段のお出掛けで持ち歩くもの。

だけど、数日のお泊まりとなるとオムツは袋ごと、ミルク(キューブタイプ)は箱ごと、着替えはスーツケースで持って行かなければならない。

それ以外に哺乳瓶の洗浄剤、入浴で使うバスタオルやスキンケア用品、バウンサー、ベビーカー、加湿器、スリーパー、おもちゃ、などなど。

車をノアにして本当に良かった。

 

保育園の入園申請

子供の保育園が決まった。

今年の4月入園で、その時子供は生後7ヶ月。

ヤッターヽ(´∀`)ノひとまず安心。

 でもね、入園が決まるまでがまた大変だったのよ。

私の職場の近くの保育園、つまり、現在、夫、子供と3人で生活しているアパートから片道約300kmも離れた保育園への入園を希望したため、子供を連れて車で行ったり来たり。

 

2017年10月25日入園申込みの必要書類を役所に取りに行った。

子供は生後2ヶ月で首はまだまだ座ってない状態なのに(;´∀`)

2017年11月17日入園申請をしに再び役所へ。

子供は3ヶ月足らずだったが、首は少し安定してきた時期。

この時、別居婚だからという理由で用意した書類が1つ。

保育料は親の収入で決まるため、別の市町村に住んでいる夫の収入がわかる書類として、夫の課税証明書を提出。

2017年1月31日結果が郵送されるということで、私の職場の近くのアパートへ移動し、届くのを待った。

2017年2月2日内定の通知を受け取った。

通知の書類に目を通していくと、

なっ、な~に~、保育園の施設長との面接が2月7日だと~(°Д°)

2月5日に子供の予防接種の予約しちゃったじゃん。

それがなければ留まったのに。

遠方で予防接種を受けるために面倒な届け出(2017年11月21日アップ)をしてるから、キャンセルするのもな~。ってことで

2017年2月3日夫と生活しているアパートに戻った。

2017年2月6日再び片道約300kmの移動。

2017年2月7日面接。

園側から特に指摘がなかったため、事実上の入園決定。

すぐに片道約300kmの移動。

 

1週間に約1200kmも移動。

子供いなくても大変なのに(´д`|||)

 

 

たまにしか戻れないアパート

出産前に私が生活していたアパート。

 

現在、夫、子供と3人で生活しているアパートから片道約300kmも離れた場所にあるため、この7ヶ月間で戻れたのは下記の通り4回しかない。

 

1回目 2017年10月16日

2回目 2017年10月25日

3回目 2017年11月17日

4回目 2018年1月3日

 

1回目に戻った時は切迫早産によるバタバタの移動(2017年6月29日アップ参照)から、4ヶ月近くも経っていた。

 

4ヶ月近く留守にした結果、何が起こっていたか。

 

観葉植物が枯れていた。

一応ペットボトルに給水キャップを付けて土に刺してきたんだけど。

水が無くなるのが早すぎたから、キャップの穴をピニールテープで塞いで、針で穴を開けなおして、水の出方を調整したんだけど。

ダメだった( TДT)

 

トイレの排水口の水がカラカラになり異臭が立ち込めていた(トイレの換気扇を消し忘れたことが救いだった)。

 

郵便受けがいっぱいになっていた。

そうそう、子供のマイナンバー通知書が受けとれていないことを知るわけなのよ(面倒な届け出 その1 2017年10月31日アップ参照)。

 

たまにしか戻れないけど、家賃、光熱費、インターネット接続料を払い続け、生活できる状態はキープしておかなければならない。

 

子供連れてホテル泊まるなんてしんどいからね(´д`|||)